谷内六郎館

谷内六郎館

谷内六郎(1921-81)は家族と共にたびたび横須賀を訪れ、1975年には観音崎公園にほど近い場所にアトリエを構えました。そうした縁から、1998年に遺族から『週刊新潮』の表紙原画約1300点をはじめとする膨大な数の作品や関連資料が寄贈されました。当館では年4回開催するテーマ展示を通じ、谷内六郎の作品をさまざまな視点から紹介しています。

開催中の展覧会 谷内六郎館Facebook

作品紹介

代表作である『週刊新潮』表紙絵には、昭和の懐かしい風景やいきいきとした子ども達の様子が、谷内六郎ならではのユーモアを交えて描かれています。表紙絵は不透明水彩を使って描かれていて、中には実物の網やレース、砂などを使った作品があります。谷内はこれらの素材を直接画面に貼り付けたり、絵具と混ぜたりして、テーマに合わせてさまざまな表現を試していました。表紙絵には1枚につき約400字の「表紙の言葉」が残されていて、展示では「表紙の言葉」も併せて紹介しています。

《上總の町は貨車の列 火の見の高さに海がある》1956(昭和31)年
©Michiko Taniuchi
《タネを吹く子》 1960(昭和35)年
©Michiko Taniuchi
《船が編むレース》 1967(昭和42)年
©Michiko Taniuchi
《霧のミルクも来てた》 1970(昭和45)年
©Michiko Taniuchi
《なかなかどかない》 1971(昭和46)年
©Michiko Taniuchi
《光を使う燈台の子》 1977(昭和52)年
©Michiko Taniuchi

作家紹介

『週刊新潮』500号記念展覧展で公開制作した《里の秋》とともに
1965年、池袋・西武百貨店
谷内六郎(1921-1981)
1921年東京恵比寿に9人きょうだいの6男として生まれる。持病の喘息のため、小学校卒業後は進学をせず、漫画や挿絵などを新聞や雑誌に投稿するようになる。1952年頃から兄が経営する染色工房「らくだ工房」でろうけつ染めのハンカチや帯などの布製品を制作する。1955年第1回文藝春秋漫画賞を受賞。翌年、雑誌『週刊新潮』の創刊と同時に表紙絵を担当する。1971年に横須賀市の観音埼灯台で1日灯台長をつとめ、1975年には横須賀市にアトリエを構える。広島の呉市広中央中学校養護学級「たけのこ学級」や静岡県の「ねむの木学園」と交流し、福祉活動にも力を注いだ。1981年1月に急性心不全のため亡くなるが、その時点で『週刊新潮』表紙絵は1303枚となっていた。その後、未発表作品などでこの年の最終号まで表紙を飾ったため、合計は1335枚となる(創刊号の原画を再使用した通巻1000号は除く)。谷内は25年の間表紙絵を描きつづけ、表紙を飾った期間は足かけ26年にわたる。